貴重資料

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青ヶ島之図

史料群

水野家文書

分類記号

D1-31-8

作成(内容)年代

天保9年

西暦

1838

点数

1鋪

法量

40*82

備考

「引馬文庫」「画図記」朱印(水忠邦蔵書印)あり

参考文献

『角川地名大辞典』13、東京都(角川書店、1978年)

説明

天保9年(1838)5月に羽倉外記用九が謄写した青ヶ島の絵図。青ヶ島は伊豆七島の一つで、東京の南約360km、八丈島の南約70kmに位置する。絵図でも八丈島と小島が北西に小さく描かれている。面積は5.23平方km。島の大きさ(長さ一里半余)、村郷(休戸郷・末吉郷)や草木の種類が右側に記されており、これは他の絵図に見られないこの絵図のみの記述である。中央には「山ノ嶺」があり、そのまわりを外輪山が囲い、その左がわに末吉郷と休戸郷の集落があり、耕地が開けている。島の周囲は急な断崖に囲まれており、港湾施設はないが、絵図では島への入り口は5箇所あり、海岸にハシケが描かれている。塩釜もあり、塩業も営まれていたことがわかる。
端書には「天明3卯年中、右島字池ノ沢ヨリ地火吹出シ、住居相成り難く、男女残らず八丈島へ引移り罷り在り候処、山焼静候ニ付、文政元寅年中起返シ仕りたき段、願い奉り、御聞済ニ相成り、夫より段々起返仕、当時住居罷候」とあり、天明3年(1783)の火山活動により島民がすべて八丈島に避難したあと、文政元年(1818)より島の復興がはじめられたと記されている。島の中央の字池の沢からは、いまだに火が出ている様子が生々しい。

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