貴重資料

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山王絵図

史料群

水野家文書

分類記号

D1-17-4

作成(内容)年代

不詳

西暦

不詳

点数

1枚

法量

33*27

備考

端裏書あり

参考文献

『日枝神社史』

説明

所在地は東京都千代田区永田町2丁目。江戸山王社は南北朝期より史料に現れるが、徳川家康の関東入部後に寺領100石の寄進をうけて紅葉山に遷祀され、これ以後、幕府直轄の神社となった。慶長12年(1607)には、半蔵門外の堀端の西貝塚(千代田区隼町)に遷された。3代将軍家光からは社領500石を寄進されて朱印領600石となった。明暦の大火で社殿を焼失し、赤坂溜池際(現在地)に遷され、万治2年(1659)には4代将軍家綱の命により壮麗な社殿が落成した。

歴代将軍の産土神として、将軍とその家族や諸大名が社参した。毎年、正月と六月には幕府から使者が出て幣帛を捧げた。6月15日の例祭は、山王祭・天下祭・御用祭などと称され、神輿が江戸城内に入って将軍の上覧を仰ぎ、神田祭・根津祭とともに江戸三大祭と呼ばれた。山王とは近江の比叡山延暦寺の鎮守社たる日吉神社の仏教的呼称なので、戦後は日枝神社と改称した。

絵図では、表門は丹羽左京大夫と大久保四郎右衛門が番所を守り、鳥居を2箇所くぐって境内をすすむと、左側に神主樹下(じゅげ)近江の屋敷があり、右側には客殿と別当観理院権 僧正の居所がある。左手におれて階段をのぼると楼門があり、唐門をくぐると御宮がある。観音堂・庚申堂・稲荷社・薬師堂・社僧10ヶ院・社家6人の名もみえ、江戸期の様子をよく伝えている。

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