貴重資料

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増上寺絵図

史料群

水野家文書

分類記号

D1-17-3

作成(内容)年代

不詳

西暦

不詳

点数

1枚

法量

33*38

備考

端裏書あり

参考文献

鈴木尚・矢島恭介・山辺知行編『増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体』(東京大学出版会、1967年)

説明

所在は、東京都港区芝公園。浄土宗。三縁山広度院、縁山ともいう。もとは光明寺という真言宗寺院であったが、明徳4年(1393)に聖聡が改宗し、江戸における念仏布教の中心寺院になった。天正18年(1590)徳川家康の入府と同時に、徳川家の菩提所となった。

慶長3年(1598)に現在地に移され、同10年から大造営が開始され、同18年に家康から寺領1000石を寄進された。家康をはじめ、歴代の徳川家の御霊屋が建ち、東叡山寛永寺とともに徳川家の菩提寺として栄えた。とくに秀忠廟は壮麗を極め、絵図では「安国殿」「台御廟」とあるもので、広大な敷地に廟所が営まれていたことがわかる。

往時は120余の建物がならび、3000名にのぼる学僧がいたとされる増上寺は、現在では規模を縮小し、境内も整備されて近代的な寺院に生まれ変わっている。そのなかで、秀忠廟は増上寺の数少ない江戸期の建造物として現存しており、その遺構を見ることができるが、保存状態は良好とはいえない。

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