貴重資料

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東叡山絵図

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史料群

水野家文書

分類記号

D1-17-2

作成(内容)年代

不詳

西暦

不詳

点数

1軸

法量

33*44

備考

端裏書あり

参考文献

東京都教育委員会『寛永寺及び子院所蔵文化財総合調査報告』(1999年)

説明

所在は、東京都台東区上野桜木。天台宗。僧天海が江戸城の鬼門の位置に幕府の祈願寺を建てることを進言し、元和8年(1622)から9年をかけて上野に造営され、天海に寄進された。天海はそれまで武蔵国川越にある東叡山喜多院の住持であったが、寛永2年(1625)に本坊が完成したのちは、ここに東叡山の名を移し、当時の元号寛永をとって東叡山寛永寺と号した。家光以降に将軍家の菩提寺となり、家光・家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定・慶喜およびその夫人の廟所が営まれた。

絵図中央の「中堂」は根本中堂として知られる。5代将軍綱吉によって建立され、東都随一と言われた。このころに寺域36万5000坪・寺領1万1790石・子院36坊を数えた。絵図の端裏書には「一 山衆 三十六坊 内御別当九ヶ院」とあるので、絵図は東叡山寛永寺の盛時を伝えている。「御宮」とあるのは東照宮で、藤堂高虎によって建立された。歴代将軍の廟所は、輪王寺宮門跡の「御坊」の奥にある。

明治元年(1868)5月に彰義隊が本寺を拠点に官軍と戦い、堂社の大半を焼失した。現在は、勅学門および付属の水盤舎が国の重要文化財、五重塔(絵図では記載がないが、「御宮」の向かって右側)が東京都の重要文化財に指定されている。

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