貴重資料

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紅葉山御宮御霊屋総絵図

史料群

水野家文書

分類記号

D1-17-1

作成(内容)年代

不詳

西暦

不詳

点数

1枚

法量

33*44

備考

端裏書あり

参考文献

福井保『紅葉山文庫 江戸幕府の参考図書館』(東京学郷文庫、郷学舎、1980年)

説明

紅葉山は江戸城内中央にある小山で、歴代将軍の霊廟が営まれた。また、その東北には具足蔵とともに、将軍の御文庫(紅葉山文庫)などの建造物があった。

絵図で「御宮」とあるのは紅葉山東照宮のことで、初代将軍徳川家康の廟所にあたる。絵図では一ノ鳥居しか描かれていないが、一ノ鳥居、二ノ鳥居、勅額御門、唐門をくぐって廟所にたどりつく。2代将軍秀忠(台徳院)の廟所は、一ノ鳥居の正面奥にある「二十四日」と書かれた廟所で、これは秀忠の命日が二十四日にちなむものである。この二人の廟所は単独で造営されており、別格扱いであった。

当初は、3代将軍家光以降の廟所も単独で造営されており、一の鳥居の手前右手の平地に家光、家綱(4代)、綱吉(5代)、一の鳥居の手前左手に家宣と順次造営されたが、6代家継からは合葬されるようになる。絵図では、「大猷院(3代家光、4月20日没)・文恭院(11代家斉、閏1月晦日没)・温恭院(13代家定、7月4日没)様」「厳有院(4代家綱、5月8日没)・孝恭院(家治3子家基、2月24日没)様八日」「常憲院様(5代綱吉、2月10日没)・有徳院(8代吉宗、6月20日没、)様・浚明院(10代家治、9月8日没)様十日」「文昭院(6代家宣、10月14日没)様・有章院(7代家継、4月晦日)様・惇真院(9代家重、6月12日)様・慎徳院(12代家慶、6月22日没)様十四日晦日十二日」と記されている。

14代家茂の名がみえないことから、本絵図は家定の没した安政5年(1858)から家茂の没する慶応2年(1866)までの間の作成と推定される。ただし、宝蔵は御具足倉が2棟、御書物倉・御鉄炮倉・御屏風倉が書く旨の計5棟が書かれているが、江戸後期には書物倉は4棟であったと伝えられるので、その点は今後検討する必要がある。

なお、現在、紅葉山にあたる地は皇居内にあるので、上記の遺構を見ることはできない。

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